日本漫画の会ブログ

世界風刺遺産・風刺ユーモア大好き人間の集まりです。

2013年02月

世界や日本の今を、風刺とユーモアの個性的な発想と自由な形式で、漫画の可能性を追求する会です。

名画とパロディカートゥーン

  注意を引くために途中からスタートしたこの「名画とカートゥーン」シリーズ、みなさまにそのおもしろさも伝わったことと思いますので、あらためて最初に戻します。西田
 
0:サロン
  17世紀から20世紀初頭まで、フランスの芸術作品は、サロンと呼ばれる公募展を主催する芸術アカデミーによりコントロールされてきた。フランスではアカデミーとはフランスの文化的創造物を育て、批判し守る組織なのである。
 
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1:サロン1787
  1737年より、この絵画展はほぼ毎年開かれてきた。最初のうちはルーブルで、そのあとはシャンゼリゼ通りに近い建物で。
 
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2:サロン1824
  政府に後援されたこの恒例の絵画展は広大な商業施設で催され、チケットをもった大衆が招かれた。オープニングは壮大な社交の祭典だったのである。
 
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3:ドーミエ 「ヴィーナス」/大衆
  もちろん大衆の無知や愚かさ、プチブル趣味を笑うたくさんのカートゥーンがある。しかし、このテーマについてはひとつをお見せするだけで十分だろう。
 
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 サロンで描かれたスケッチ
 「今年もヴィーナス、いっつもヴィーナス、まるでこの世にこんな女がいるみたいね!」
 
 *日本の博覧会に初めてヌードが出品されたときは大騒動だった。警官が裸体の局部に布をかけて隠したり、
(黒田清輝「朝妝事件」)、新聞に掲載されるときは下半身を布で覆った。それを風刺したジョルジュ・ビゴーの漫画(1895)はドーミエよりさらに辛辣である。
 
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4:サロン1880/カタログ
  サロンに収益をもたらすために、絵画は番号をふって展示された。鑑賞者は作品のタイトルや出品者の名前を知るためにはカタログを買わねばならなかったのである。
  ダンタン作のこの絵の中に、カタログを見る鑑賞者や机に座ってカタログを売る女性が描かれている。
 
このような状況をカムは漫画にしている。
 
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 *「ちょっと座らせてくださいな、マダム。今年のこのいまいましい展覧会はずっと先まであるんだ」
 
5:カム/番号
  漫画家は、自分のパロディカートゥーンに、画家のサロンへの展示作品と同じ番号をふった。
 
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名画とパロディカートゥーン⑤

34:シェナバード/神聖悲劇
  ポール・シェナバードは芸術はヒューマニスティックで教化するものでなければならないと考えていた。彼の宗教の歴史観を表しているこの作品は、1869年にフランス国(French State)によって獲得された。彼の絵は、歴史、道徳、哲学を教える本に代わりうるものをめざしていた。
  *タイトルの神聖悲劇はダンテの「神聖喜劇(日本名”神曲”」に比したものである。
 
  ベルタルはこの胸、腿、腕、足、筋肉や肉体の集まりをあざ笑っている。彼はこれらの集積をパリの通りの膨大な瓦礫と比較している。この時期、オスマン男爵のパリ市街改造計画によって2万戸の家屋が破壊された。
 
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36:ピュヴィス/希望
  ピエール ピュヴィス ド シャバンヌは多くのアーティストに影響を与えた象徴主義の画家である。この絵は、写実派や印象派とは対照的で、むしろプレラファエル派と審美的に相似する、観念的反応の典型である。
 
  カムはキャラクターのやせっぽちさや背景の貧弱さをからかっている。
 
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37:ルノワール/オダリスク
  オーギュスト・ルノワールは印象派の発展において指導的な立場に立つ画家だった。 彼は美、特に女性の官能美の讃美者である。
 
  カムはキャラクターのもの憂いポーズをだらしない酔っ払いに変えるという意地悪をやってのけている。
 
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38:印象派展
  アカデミックで保守的な審査員は次第に印象派の作品を受け入れなくなっていった。たいがい彼らの作品は門前払い、よしんば受け入れられてもひどい展示場所を与えられた。そこで、印象派の画家たちは自分たちで独自の展覧会を開いた。(1874、1876、1882、1886年)
 
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 *印象派展入口にて。「奥様、お入りにならないほうがいいですよ!」 作品はカム
 
39: グレンヴィル/結論
  漫画家は画家の色彩、形、モチーフの取り扱い方をからかってはいるが、それらの批判には芸術的見地からの真剣なものはない。それらはジョークで描かれたものだ。といっても、当時の大衆の保守的な見方、プチブルの人々の考え、そしていかなる種類の絵画のニューウェーブにも反対する漫画家に同調する大多数の新聞読者の好みを反映するものだった。
 
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  *ピンクの台紙の中にキャプションが入っていませんが、おそらくグレンヴィルが当時のニューウェーブの絵画展をからかった作品と思われます。西田

名画とパロディカートゥーン(4)

 前回現代のパロディカートゥーンを少しご紹介しましたが、著作権の問題もありますので、また19世紀のパロディカートゥーンに戻ります。西田
 
29:マネ/ゾラ①
 作家エミール・ゾラは新聞などで大っぴらにマネを擁護しました。そんな記事のひとつが青い表紙の薄い冊子として出版されました。この絵のテーブルの上にあるのがそれです。
 
 フルーリは彼の漫画の中で、マネが額でカットして描かなかった靴を描いています。フルーリはマネの描き方がアカデミックな構図でないことをからかっています。
 
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30:マネ/ゾラ②
 もう一人の漫画家アンドレ・ジルはマネの色彩の幅のなさをからかっています。すべてが黒なのですから。
文学界の黒い羊(厄介者)といわれたゾラもね。
 
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31:マネ/バルコニー①
 カムは意地悪な忠告をしています。
 「ミスターゾラ、窓を閉めてください。これはあなただけの趣味なんですから」
 
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32:マネ/バルコニー②
 ベルタルにとっては、人がおもちゃにしか見えません。再び(No.25)マネの固い人物造形を批判しています。
彼のキャプションは豊富な緑色も風刺しています。そして、皮肉に結論付けています。「マネ氏の進歩は明らかだ」
 
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 *ベルタルの挿絵の入った本が日本で売られていました。3万円だそうです。
 
33.マネ/音楽レッスン
 カムの意地悪なキャプションは「”音楽レッスン”をドローイングレッスンと混同してはならない」
 
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35:ファンタン
 アンリ ファンタン ラトゥールは写実主義で室内画派に属する画家、リトグラファーでした。花の絵やパリのアーティストや作家たちのグループポートレイトはよく知られています。
 
 ベルタルはマネの影響をからかっています。彼はファンタンの絵を、古典的な宗教画”イエスとその弟子”に模しています。
 
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名画とパロディカートゥーン

  「名画とパロディカートゥーン」の画像についている説明文を後日入れましたが、読んでいただけましたでしょうか?訳しながら、クールベ、マネといった巨匠に対し、あまりにもストレートな風刺に度肝を抜かれました。風刺漫画を描いた漫画家は巨匠と同時代の人なのです。19世紀の風刺漫画とはこういうものだったのでしょうか。
  現代の名画をあつかったパロディ漫画をご紹介して、比べてみましょう。(前回ご紹介した鮎沢さんの作品も巨匠が描いたのらクロシリーズでパロディ漫画でしたね。)
 
 最初のは、フランスの代表的な漫画家による名画のパロディ漫画集です。カブー、テツ、トレス、ウォリンスキー、シネ…達12人。表紙はドゥブリッツによるゴッホの絵。
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中の絵を1枚ご紹介すると、
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テツによるドガの絵です。
 
  コンテストでも「アート」はよくテーマに選ばれます。私が持っているのはオランダのコンテストカタログ1997。
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表紙はウィレムによるピーター・ブリューゲルの絵です。
 
いかがです?ただ名画をいじくっているだけ、風刺性なんて感じられませんよね。今はそういう時代なのでしょうか。
漫画家が風刺の牙を失ったらただのイラストレーターだと思うのですが。西田
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