2月29日の大雪の日、江戸東京博物館で開催された講演「鯰絵の世界」に行ってきました。安政の大地震(1855)の後、わずか2ヶ月余の間に、無許可でどっと巷にあふれた400種余りの風刺画です。最初は余震におびえる人々の護符であったものが、次第に”世直し願望”に変わってきます。その説明はこの方のブログをどうぞ。
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地震で損をした金持ちやぜいたく業種、得をした貧しい復興建築業種、片寄っていた金が低い方に流れて世直しになっている、これは鹿島大明神の思し召し、というわけです。焼け跡を横目で見ながら風刺画のユーモアを楽しめる江戸の人々の余裕におどろきますし、こんなことを平気で絵にする制作陣の発想の広がりや自由さにはさらに目を見張ります。今の私達の方が、法的にはずっと表現の自由を保証されているのに、自分で勝手に作った自主規制が心や頭をがんじがらめにしているなぁ、と思います。デンマークのモハメット風刺画事件は、そんな自己規制に挑戦する試みのはずでした。(昨年10月、そんな彼らと交流会をもちましたが、彼らは漫画家というよりイラストレーター、編集者の思惑に従うだけの漫画的テクニックを十分には持ち合わせていなかった悲劇だったのでしょう)
ちなみに最初の鯰絵の趣向(文章)を考えたのは仮名垣魯文、絵は河鍋暁斎だそうで、私達も才能豊かで勇気ある発想屋とコンビを組んだ方がいいかもですね。 西田
「世ハ安政民之賑」
世直し(世ならし)思想の絵。金持ちや座頭(金貸し)が鯰に懲らしめられている。
今ならひっくり返っているのは、東電でしょうか。仙台のタクシーの運転手はマスコミを乗せて、月に100 万円稼いでいる、と東京の運転手の人が羨ましがっていました。
「三職よろこび餅」
”御代の若餅”のパロディ。三職とは大工、鳶、左官で鯰のおかげで急に仕事が入り、賃金高騰
金が潤沢になったので、御礼に餅をご馳走しているところ。鯰の着物の柄はひょうたんでしょうか。
要石とともに鯰を押える効果があったと考えられていたそうですが、多分「瓢鮎図」から来ているのでしょ う。

